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ムーアの法則のその先

前回、ムーアの法則について少し述べましたが、これだけ破壊的な経済法則についての様々な影響は、多くの場で述べられています。そしてそのムーアの法則が限界に近づいていることも知られています。
池田氏は著書の中で、ムーアの法則が資本主義に与える最大の影響は、それが「過剰能力」を不断に作り出すこととのべています。一方経済学とは希少な資源をいかに効率的に配分するかを考える学問と定義しています。
ムーアの法則もコンピュータの需要が伸びる余地がある時には(希少性が保証されている場合)大いなるインパクトがありました。スーパーコンピュータのみならず、子供が手にするモバイル端末が隅々にいきわたるまで、ムーアの法則はまさに人類に貢献し、経済的にも大きな意義をもたらしました。
それではこれからの端末の進歩はどうなるのでしょうか。著者もモバイル端末をポケベルから現在の形態まで経験してきました。現在のスマホはガラケーと比べて圧倒的に多機能で、ソフトウエアで進化できるため、5Gの普及するときにもこの形に近いものであろうと思われます。ウェアラブル機器(アップルウオッチなどの)などの用途もこれから期待できますが、まずはスマホありきでスマートウオッチ単体での使用はどこまで伸びるかは、発売から今までの普及速度から見るとそれほどでもないのかと思えます。
それどころかスマホでさえ、昔は何台も持っているヘビーユーザーがいましたが、今はスマホがそれなり大きいし、単体でも多機能であることや物珍しさも減ってきたためか落ち着き始めているように思えます。実際のユーザーの使用状態も動画や音楽などを見ることやSNSに利用するのが主であり、コンテンツがソフトウェアとしてどんどん更新されるかは人側の問題であり、急速に進むことは考えられません(サービス業の生産性と同じで高くない)。
一方、ムーアの法則とは別に、モバイル端末がどうしても必要という情熱が飽和し始めた場合には、人間が技術の進化についていかなくなり、そうなれば当然半導体の需要は目に見えて落ちていきます。そのとき希少性は失われ、行き着く先は過剰に半導体を生み出すということとなります。経済学的には、たとえば空気はそれがどんなに生存にとって重要なものであっても、無限に存在する過剰な資源なので価格はつかず、逆に需要が供給をはるかに上回る宝石は、何の役にも立たないが高い価格がつきます。ですから一端過剰が起これば価格が暴落して、その結果業界への影響は計り知れず、脆弱な企業から破壊されることとなります。
もう一つの行き過ぎた技術革新の結果、技術革新が環境への負荷をもたらすことが知られています。前回マッハ2の旅客機が2003年以降運航していないことは述べましたが、ソニックブーム(音の壁を超えるときに起こる衝撃波)やオゾン層の破壊などの問題が解消できない限り、今の感覚では超音速の旅客機は必要ないのかもしれません。
わかりやすい例の一つに、アメリカの農業があります。ビジネス書の中でも有名なもので、今よく言われる「人生100年時代」を最初に提唱したライフシフトという本のなかで、農業は1969年にはアメリカのGDPの40%近くを占めていたが2013年には1%まで落ち込んだと書いてあります。その原因は農業機械や肥料などのテクノロジーの進化にあり、これらが農業の生産性を飛躍的に向上させ、潜在的な供給量を押し上げました。
食糧需要は満ちてしまえば、国内ではそれ以上の需要は存在しないので、結果として常に供給が需要を上回ることとなり、農産物の価格が下落しました。その結果農産物の希少性は失われ、それがアメリカの農業の経済規模を大幅に縮小させ、多くの農業労働者が職を失う事態を招いたとしています。そしてアメリカ国内で余剰となった農産物は日本を含め、世界中に輸出されることとなりました。それは日本の農家にも少なからず影響を与えることとなります。
農業の生産性を飛躍的に向上させた技術の中でも農薬は革新的な技術であり、戦後急激に進化しました。それまでは植物や天然鉱物由来の殺虫剤などが持続的技術としてゆっくり進化していたところ、第2次世界大戦がはじまり、一部の農薬は毒ガスの技術が素地となっていたこともあったこともあり、ムーアの法則的な技術革新により急速に普及することとなりました。その結果農薬の普及は農業生産物の生産量を飛躍的に向上させる一因となり、一時的に農家の所得は向上したものの、それ以降は生産が過剰になりました。
さらに1970年代あたりから農薬の環境への影響が懸念され始めたため、それまでの農薬は使用できなくなり、今では環境や人への影響を考慮した農薬に切り替わりつつあります。農家側から見ると、生産過剰による家格の下落で離農する農家が増えましたが、その労働人口は都市に流入して、結果第2次産業革命を支えることになりました。
ムーアの法則は一般工業製品についても性能向上の目標値として使われることがあり、経済関係の著書の中にも半導体以外でもたびたび出て来ることがあります。そして同様の発展をした場合、20~30年くらい指数関数的な伸びをすることが多く50年以上伸び続ける半導体はその意味でも驚異的なものだということになります。
これらのことから、ムーアの法則的技術が生まれると、それが破壊的イノベーションを起こし、旧来の技術者の失業が起こります。そして次の変化として生産過剰が起こり、いったんはマーケットが崩壊することとなります。それが労働人口の移動を起こし、また違う産業がムーアの法則的な技術革新に見舞われると、そこでも破壊的イノベーションが起きることとなります。それ以降は繰り返されるわけです。また一端破壊された業界もその後は持続的イノベーションでしのぐというような流れが予想されます。そしてこの変化はAIが導入されると20~30年くらいの周期がさらに短くなるかもしれません。

ライフシフトの考え方では、技術者の人生を100年とすると就労期間が50年を超えることもあるでしょう。これからの産業の興亡が短いスパンで頻繁に起こるとすると、技術者には大きな影響があると思われます。50年の間に技術者もキャリアを乗り換えなくてはならない可能性が高く、技術者にとっては今までと違うところに向かう困難さが想像されます。
先ほどのアメリカの農業の例でいえば、農業従事者か減る代わりに専門職・技術職、サービス業は急速に増えました。サービス業のような人がかかわる仕事については、ニーズが増えても効率的に人は増やせないから生産性は低いため、需要が飽和することなくこれらの需要はこれからもあると思われます。しかし人の動きとしては理解できても、技術者が新たなキャリアを形成をして、納得できる後半の人生を過ごすには相当の努力が必要でしょう。運が良ければ最初のキャリアのみで技術者人生を満了できる人もいるはずです。でも50年以上も同じ状況でいられる技術者は稀有な存在だと思います。
人生100年時代を提唱した、ライフシフトによれば教育から定年その後老後という三つのステージ(3.0)を想定していた時代と今は明らかに違うこととなります。人生100年時代では定年後に何らかのキャリアを考えなくてはならないと著者は述べています。過去のロールモデルはこれからは通用しないことになり、親の世代に有効だったキャリアの道筋や人生の選択が、今から老後を迎える世代に有効だとは限らないと述べています。
その場合村社会に生きる日本の技術者は、自分の技術を極めることが職人には必須であり、余計なことは考えるなという空気感のなか、他のキャリアの研鑽を積むなどは、タブーに近いと思われます。
日本では技術者の評価は、スキルの精度を極限まで高めることが最良であるあると思われますが、これは持続的イノベーションが強力で技術の希少性が保たれる場合(銀座の寿司屋さんや何代も続く和菓子屋さんなどの場合)の話で、生産物が過剰な市場では技術は安価で評価され、技術者は過酷な環境に我慢しなければならなくなります。そしてそれに対抗するには、さらなる研鑽を積み唯一無二の境地を目指すことが正しいとされると思います。しかしそこにたどり着くのは一部の技術者のみで、多くは様々な矛盾と共にそのキャリアをあきらめなくてはなりません。
技術者本人もその局面が目の前に迫ると、キャリアの劇的な変更というよりは、今持っている技術の延長で何とかならないかと考えます。技術の延長上に手頃な仕事があれば、それに越したことはありません。それは本当にラッキーです。
ですがもしそれが無かった時でも個人個人状況は様々で、好きなものも違います。私自身の経験と様々なビジネス書を見て思う事は、その時には自分の中にある希少性を探すことが重要ではないかと思います。経済学もいかに希少な資源を配分することが目標であり、(希少性を持つマテリアルはとてつもなく魅力的に映ります)技術者も自分の希少性を良く分析して、社会に当てはめてみるとよいのではないかと思います。世の中の空気が入れ替わる今からは、全く新しいマーケットが形成されるかもしれません。自分の希少性を探し、分析するのはそんなに簡単なことではないのはわかっていますし、私自身現在進行形で、まだ闇の中にいますが、毎日可能性を求めてチャレンジはしています。
ではキャリア形成のための情報はどうして手に入れるかといえば、いきなり専門のセミナーというわけにはいかないでしょう。やはり古典的な新聞やビジネス書が最初かと思います。一方、今の若い人(どれくらいの年齢を指すのかという明確な根拠はないのですが)は新聞を読みません。情報がいらないというのではなく、新聞からでなくスマホのニュースアプリから自分の興味がある分野だけ情報を引きだします。池田氏によればこれは「プル配信」といい、旧来の新聞やテレビから一方的に流れてくるものは「プッシュ配信」と呼ぶのだそうです。
情報が今ほどなくて希少だったころは、それを処理する能力も限られていて上から一歩的に流される情報から大衆は価値判断せざるを得なかったわけです。プッシュ配信では限られた記者が処理した情報を印刷して配布する新聞などのメディアが適しており、広告も大量消費される製品の情報を新聞やテレビで一斉に届けるシステムが合理的でした。今はコンピュータが普及して大量の情報が個人で得られるようになると、その中で必要なものだけをプルすればとても効率的です。
しかしプッシュ配信による一期一会的な新しい情報の流入も捨てがたいと思えます。苦手や興味がないことでも取りあえず目に触れるわけですから、視点さえ少し変えれば新たな情報と変わることもあります。その細い糸を手繰りながら私も今ここにいる気がします。
ライフシフトによれば、過去のロールモデルは通用しないと述べています。つまり親や先輩の生き方、教訓は道に迷ったときにすがりやすいものですが、それは最良の選択肢ではありません。新聞やテレビなどの古典的なメディアからも情報を得て、さらにネットを経由して自分に合った希少な情報から、キャリア形成についてのヒントを探して、その都度自分で判断するしかない状況が増えてくるかもしれません。