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モジュール化と技術者のアップデート

 今回紹介する書籍は、

津曲 公二 酒井 昌昭 著 『日本のものづくりを救う!最強の「すり合わせ技術」』日刊工業新聞社

中田行彦・安藤晴彦・柴田友厚 編著 『「モジュール化」対「すり合わせ」:日本の産業構造のゆくえ 学術研究出版/ブックウェイ

もともと未知の領域だったので、文章がわかりやすくてとても勉強になりました。ぜひご一読を。


 


 技術者がその人生をどう全うするか、というのは産業革命が進行しつつある今、大変難しい問題です。デジタル化が進行して、あらゆる事柄の一目瞭然化により、情報の非対処化が解消されつつあります。それは技術のクロックスピードを早めることとなります。ですが技術者の成長は、それに見合うほど簡単なものではないと思います。

 

 津曲らによれば、技術者には旬があります。技術者としての「花の時期」はあるものの、そのままでは、やがて盛りは過ぎてしまいます。現役時代に身につけた固有技術で、第一線級として通用するのは、10年から15年程度だと自覚しておく必要があります。世代交代を続ける技術分野で、常に新技術を体得し、一線級の技術者として活躍しつづけることは、極めて難しくなりました。と述べています。

 知人で、大手メーカーの製品サポートで現場を回っている方がいますが、その方は工場で第一線の技術者だったことを懐かしがることもある一方、とても前向きな方で、先日お願いした時も、「明日、ガスの資格試験なんです」と、新商品の燃料電池型給湯器のサポートに必要なスキルを得るためにとても前向きでした。彼は会社の方針とは言え、異業種へ切り込んでいくことに、とても楽しそうで、実に張り切っていました。

 これが現在の、技術者のスタンスとして必要なものかもしれません。しかし技術者にとって、新しい技術は現実には、そうそう簡単に取得できるものではありません。

 

 ですが前述したとおり、デジタル化が進むと、テクノロジーのクロックスピードが急激に速くなります。モジュール化というデジタル化か急速に進めば、その結果、技術者も一部を除いて、特殊な技術を習得する暇もなく、使い捨て的な扱いにならないとは限りません。

 上司が責任をもって新人を大切に育てるカルチャーは、デジタル化によって古き良き記憶になってしまうかもしれません。新人時代の技術習得期は技術者の仕事人生を決定づける重要な期間ですが、会社にある程度の先を見る余裕がないと、教育はそこそこにされて、ただ最前線に放りだされる可能性もあるわけです。そしてついていけなければ、技術者のキャリアもそこで終わってしまうことにもなりかねません。

 

 では、モジュール化による日本への影響はどういうモノかといえば、今ビジネス書のトレンドとして、モジュール化するトランスワールド企業と、すり合わせにこだわるガラパゴス化した日本企業という図式がさかんに語られています。デジカメや産業ロボットなどを除き、業績的に押されている企業が多くなってきているのは、事実のようです。

 中田らによれば、モジュール化は国際水平分業によりグローバル市場をターゲットとし、日本企業の得意なすり合わせは垂直統合型の事業となり国内市場をターゲットとしてガラパゴス化しやすい傾向があると述べています。

 コストの問題として、いったんモジュール化により出てきた製品が、ユーザーから見てすり合わせのそれと比べて、大きく劣らなければ、その後のアップデートはモジュール化企業のほうが圧倒的に速いですし、製品のコスト管理でもアドバンテージがあると言われています。そしてすり合わせ企業が今後劣勢になるいう空気感が圧倒的に強くなっています。

 モジュール化はその前提として、コアの技術の普及、平易化があってのことであり、そのコア技術が成熟しつつある状態であれば、モジュール化に進むことになります。そしてそれらのコアを組み合わせる思想が卓越していれば、今までにないものをこの世に出現させることが可能となるのでしょう。

 

 ではなぜ、日本はモジュール化に対するレスポンスが遅く、すり合わせに固執するようになってしまったのかという背景には、モジュール化を進める欧米と、すり合わせ企業の生き残りをかける日本のカルチャーの違いがあると思います。

 津曲らによれば、日本人の階層意識は、欧米諸国に比べてきわめて低いと言えます。生まれた時から社会的に行き場のない閉塞感をもつ階層は存在しません。欧米社会には、いまでもあきらかに階層があります。主要先進国で社会の階層がない国は日本だけです。ところが、日本の企業側にはあきらかな階層が見られます。と述べています。

 日本はすり合わせ企業による垂直統合型の生産システムを得意として、欧米はモジュール化をベースにした国際水平分業で覇権を狙っています。すでに多くの業種でモジュール化、国際水平分業の流れが主流となっています。やはりモジュール化は、コストや開発スピードでアドバンテージがあり、今後この流れは止められないでしょう。

 


 中馬は著書の中でこう述べています。最近になればなるほど、製品市場、もの造りのシステム、製品の開発設計、R&D(研究開発)システム等のいずれの競争領域でも既存領域での急速な汎用品化とその領域よりもワンランク・ツーランク抽象度の高まった新領域への付加価値獲得競争の移行が急速に起きるようになっている。(中略)そして、王道としてのモジュール・システムアーキテクチャが、その高い進化能を支えているのである。

 ところが、多くの日本勢は、この王道からやや遠ざかる形となり、多段階競争・淘汰の荒波に立ち往生することが多くなってきている。そのことによって、異次元の市場やテクノロジーのクロックスピードになかなかついて行けなくなってきている。

 さらに中馬は以下のように述べています。なぜ日本勢は相変化の潮目に気づくのが相対的に遅れてしまいがちなのだろうか?(中略)もっとも現状の日本勢にとって逆風となっている要因は、第三次産業革命の原動力であるデジタル化が社会にもたらした未曽有の衝撃をなかなか活かせないという点に尽きると思われる。では、そもそもデジタル化はどのような衝撃をわれわれの社会にあたえているのだろうか?それは、Zuboff(1984)が四半世紀以上も前に見事に看破した「あらゆる事柄を自動化する」、「あらゆる事柄を一目瞭然化する」の二つである。この中の前者はとてもポピュラーであるが、その社会への衝撃の大きさを考えると、後者こそ極めて本質的だと考えられる。

 デジタル化(その本質としてのモジュール化)は、「あらゆる事柄の一目瞭然化」をきわめて迅速かつ安価に行えるようになる。(中略)個々人や個々のグループが試行錯誤によって獲得した成果がコピー&ペーストによって社会全体にたちまち広がっていく。つまり、"社会実験の経済”や"社会学習の経済”とも呼べる便益が多くの人々に広汎に、しかも素早く波及していく世界が登場してきた。

 

 私も当初、今の世の中に対しての違和感の一つがこの、技術立国とされる日本がことデジタル化に対してなぜか積極的ではなく、後進国とみていた中国に大きく後れを取るとはどうしてだろうということでした。

 この疑問に対して、中馬は、深い階層構造を持つ旧来の垂直統合型企業では、トップダウン方式での情報伝達速度は早いが、情報混雑が発生しやすいボトムアップ方式での伝達速度が遅くなる、という指摘である。そしてそのことは前者の速度がもともと遅い”お任せ型”日本勢の場合、さらに致命的となりつつある。と述べています。

 現在、自動車の世界はフォルクスワーゲンを中心としたモジュール化企業体と、すり合わせ企業の代表的なトヨタを中心とした日本型製造企業の対立構造が、傍から見ているととても興味深いものがあります。中馬は、トヨタが、トヨタ生産方式(TPS)というデジタル化が社会の趨勢となる遥か以前から、一目瞭然化するための創意工夫とそれらを用いた組織イノベーションを継続的に実施してきたことを指摘しており、多くの日本勢は未だTPSの本質を把握できていないのではないだろうかとも指摘しています。

 

 しかし、そのトヨタとはいえ、これからの未来は決して順風満帆とはいえないと思われます。これからの自動車産業の未来予想図としては、新しい排ガス規制の影響によりこれ以上の発展が困難なハイブリッド車の次の世代が、インフラが整っていない、技術的にも高度なレベルを求められる燃料電池車ではなく、モジュール化に最適と考えられている電気自動車と自動運転というパッケージが中心となると考えられます。

 自動運転といえば、以前にも述べましたが、ウーバーなどのプラットホーム企業が配車サービスに使うために、すぐにでも実用化を望んでいます。はやければここ数年で自動車の運用思想が大きく変わる可能性が高いと考えられます。

 さらにトヨタがそのウーバーに多額の出資をして、ウーバーの思想に寄せてきたところからも、自動運転が自動車業界の覇権を握るための攻防戦の中心になることは明らかでしょう。自動運転はまだ実用化まで相当時間がかかると思われるわけですから、どの企業もOSでのマイクロソフトのようなデファクトスタンダード(世界標準)を目指して必死だと思われます。

 

 デジタル化の波がモジュールという形となり、デジタル化に一歩遅れた日本にも存在感を増してきています。ではその時垂直統合型企業や集団主義社会に暮らす日本の技術者はどうアップデートすればよいのでしょうか? 直接の答えにはならないかもしれませんが、コンセプチュアルスキルという考え方には興味を持ちました。

 前回、問題解決の考え方としてリフレクションを提示しましたが、視野が狭くなるという側面もありました。それに対してコンセプチュアルスキルは、津曲らによれば企業活動や事象を総合的にとらえられる。組織に機能が相互に依存している関係性を理解している。一つの変化が、全体の機能にどのように影響するかを認識する。事業が、産業界・地域社会・国全体の政治・社会・経済にどう関係しているかを明快に描ける。と述べています。

 さらに津曲らは、コンセプチュアルスキルは直訳して「概念化能力」といわれますが、むしろ「全体観」(全体を見通す力)としたほうが具体的なイメージに近づくと思われ、この全体観をもつことの正反対にあるのは、視野の狭さです。視野が広がれば、技術者の考え方がより柔軟になり、ビジネスの器量を拡大できます。と述べています。

 デジタル化時代には変化が加速するので、トラブルの原因はどこなのか、改善出来ることは何なのかと考えをめぐらすことは重要だと思います。どんな状況でも、できうることを選択する準備はしておくべきでしょう。その時にはすぐ方法論に入るのではなく、俯瞰からの視点を重要視することが今の変化の大きな時代には、必要なのかもしれません。技術者も優秀な経営者のような視野の広さが要求されるのであれば、コンセプチュアルスキルの能力を高める必要があるでしょう。


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