- machi-ka
信頼とセレンディピティ
前回,一般的信頼の重要性を述べました。20世紀の経済発展に有効だった集団社会主義の日本は、低信頼社会であり、少なくとも私自身、他人を信頼するというスキルが身についていませんでした。そして優秀な経営者が飄々と他人を懐に入れるのを見ては、悔しい思いをしていました。しかし、努力次第では信頼するスキルを身に着けることは可能であることから、今はそのところの強化を模索しています。
一方、ネットのような薄い繋がりの世界こそ、信頼するというスキルは必要になると思います。それはセレンディピティというものを手繰り寄せるためです。

セレンディピティというのを、私は幸運を引き寄せる力という解釈をしています。飛躍的企業が飛躍するためには、他者のリソースを効果的に引き込む必要があります。それらの企業は、デジタルインフラのプラットフォーム上でハードルを低くして、あらゆる情報をつかみ取る努力をしており、結果、セレンディピティを引き寄せています。
セレンディピティはネット上だけのものではなく、ネットというきっかけをうまく使うことにより、今までにはない結果を生み出せることがある一方、フレンドリーに他者に接し、ハードルを低くできるキャラクターの存在が必須と思われます。
ジョン・ヘーゲル3世によれば、デジタルインフラの進化により発生した、プルの力を有効に発揮させるためには、セレンディピティが不可欠で、これがあれば、自分にない他者のスキルや知識を引き寄せ、自身のパフォーマンスを上のレベルに引き上げてくれると述べています。
プルの力とは、チャンスがおとずれたときや困ったときに必要な人材やリソースを自分のところに引き寄せる能力のことをいう。とジョン・ヘーゲル3世は述べています。もちろん20世紀には普及していなかったインターネットがある現在では、プルの力は強力になり、インターネットで最新の情報をチェックして最新の知識のフローに参加できることで、今では誰でも最新の知識を得ることができるようになりました。
そうなると若い人たちは知識のフローに乗り遅れることが、トレンドとして絶対に避けなければならないということになります。ユーチューブなどは子供も大好きですし、若い人たちには、エッジの情報は十分届いていると思います。ここまでは好きな人なら誰でも到達できます。
問題は次の段階です。プルの力を最大限利用するためには、その情報の流れからから、どうやってセレンディピティを手繰り寄せられるかということが重要になりますが、ここからは日本人にはやや苦手な(私だけかもしれませんが)、信頼性のスキルが重要になると思います。
セレンディピティを手繰り寄せるには、ネットの中の信頼を少しずつでも得ていくことが重要で、ギブアンドテイクであるとか相手を思いやるという基本的なスタンスのほかにもネット独特の薄い繋がりだからこそ、時間をかけて慎重に醸成することも心掛けなければいけないでしょう。でもこういうことは意識してもうまくいかないものです。準備をして待つというスタンスは、どんな時でも必要だと思います。「セレンディピティは偶然起こるわけではない。自分で努力して起こさなければならないのだ。」とジョン・ヘーゲル3世は著書の中で述べています。
アメリカのような他者への高信頼性社会では、人の懐にぐいぐい入っていく逸材もそこら中に存在するでしょうし、そのキャラクターを駆使して、彼らはネットを足掛かりに飛躍型企業を起こすことも可能だと思います。
一方、今まで大企業などの安定的な世界の中にいた人々に対して、ジョン・ヘーゲル3世は、産業革命が始まって以来、起業家も起業家、教育者も、不動産開発者も、政治家も、メディア王も、技術者も、金融の天才も、大企業の経営者も、ある一つの考え方に縛られてきた。それは「プッシュ」という、すでに寿命を迎えつつあるコンセプトだ。と述べています。そしてこのコンセプトの成り立ちには、背景の説明が必要かと思われます。
サリム・イスマイルは、著書の中で以下のように述べています。
有史以前から人類は働いてモノを所有したり、取引してきた。この行為は群れの単位から始まり、集団から国家、帝国へ、そしてグローバル市場へと拡大し、より大きな集団を組織できるようになっている。価値を生み出すには、より多くの土地や設備、機械、人員を持たなければならないというのが、これまでの世界の常識だった。そして希少資源を管理し、予測可能で安定した環境で使うには、「所有」が最善の戦略だったのである。
所有する資産を管理・保全するのの必要な人間の数が臨界に達した場合には、人間は階層型の組織をつくることで対応してきた。あらゆる部族や村で潜在的か明示的かを問わず、階層的な権力構造が見られる。集団に含まれる人の数が多ければ多いほど、形成されるピラミッドも大きくなる。さらに中世の初めから産業革命までの間に、近代型の企業が登場し、階層型のアプローチ会社や政府の構造を規定した。それ以来組織の在り方はほとんど変わっていない。
そしてこの組織で受け入れられたコンセプトがプッシュであり、世界恐慌後に企業はパフォーマンスを急速に向上される必要に迫られたために、大規模化してコストを下げるように動いた。その結果、公、民、問わずプッシュの力はあらゆる組織で主流になり、プッシュの力を取り入れた組織は、莫大な富を生み出した。しかしそれは過去の話だ。と述べています。

その中でも日本は20世紀後半のプッシュ社会を一番正しく運用した国だと思います。もともと村社会から展開した集団社会主義の日本は極端な階級制度もなく、人々がお互いに高い意識を持ちながらも従順であるという基盤があり、もともと高品質なモノづくりには最適な国だと思います。
それが21世紀になり、デジタルインフラが普及するとプルの力で世界中からリソースを引き寄せた飛躍型企業が急速に発展してきました。そして今のままではプッシュ型企業の先行きには、多くの課題があることになります。
ジョン・ヘーゲル3世は、プッシュという考え方は20世紀型で今後急速に衰えていくものとしています。
そのプッシュの哲学は以下のようなものです。
「世の中に存在するものには限りがある。」あなたが勝てば、私は負ける。
「エリートが決断をくだす」
「組織はヒエラルキーでなければならない」
「人間は型にはめなければならない」
「大きいことはいいことだ」
「需要は予想できる」
「リソース(経営資源)の配分は(組織の)中央が決める。
「需要は満たすことができる」
確かにこの考え方は21世紀に入った今では、ちょっと古さを感じさせる空気があります。その点だけでもプルの力は世の中のかなり浸透している可能性があります。そしてこの哲学を強引に進めると、組織の基盤は強固になるかもしれませんが、経営的には困難な局面が増えるかもしれません。
ジョン・ヘーゲル3世は、さらに以下のように述べています。
プルの力はマイクロプロセッサの誕生とムーアの法則が発端となる。その後急速に発達したデジタルインフラと世界的傾向として人、モノ、お金、アイデアの移動を制限する規制が大幅に緩和されることで、大きなシフトが起こった。
例えばどんな小さな会社でも世界的な企業と同じレベルで価値を提供することが可能となる。その次の影響として、これまで競争を抑えていた様々な規制や障壁が消えていくにつれ、想像もしなかった競争相手が出現する。そしてそれらのことが世界を不安定にすることとなる。
プッシュのプログラムは「需要を正確に予測し、リソースが正しいタイミングで、正しい場所に配分するのは可能」という前提で成り立ってる。しかし不安定、不確実の要素が大きくなると、需要を正確に予測すること難しくなり、プッシュのプログラムそのものが役に立たなくなる。その結果、我々は発想を大きく転換する必要に迫られる。リソースについての考え方も改めなければならないし、そもそも会社とは何かという定義さえ考え直さなくてはならないかもしれない。
次に障壁がなくなると、資本、才能、知識が、国や組織を超えて自由に行き来するようになる。この段階では知識のストックよりも知る人ぞ知るフローな知識のほうがより大きな価値を持つようになる。と述べています。
世界中のいたるところに、情熱を持った若者(若くなくてもいいと思いますが)が存在しますが、プルの力を使い、フローしている知識にアクセスし、最高のセレンディピティに出会えれば、世界のステージに立つことも可能な時代です。ユーチューバーやプロゲーマーなどはわかりやすい例だと思います。
それでもこれは、単なる偶然ではなく、常に情熱をもって準備はしていたから起こる結果だと思います。普段何気なく使っているSNSがセレンディピティを呼び込む重要なアイテムであり、情熱をそこにうまく表現できれば、偶然の良い出会いも起こり、弱い絆といわれるネットのコミュニティを最大限利用すれば今までとは全く違う経験をすることができます。
つまりネットのコミュニティに参加すると自分の趣味や関心をいろいろな人に知ってもらうことができ、その結果セレンディピティのチャンスが大きく広がる可能性も出て来るとなります。
もともとアメリカは高信頼社会で、日本は低信頼社会というのは前回述べたのですが、そのアメリカで成熟しつつある、ネットを介したサクセスストーリーを情報として知った日本人も、集団主義社会の枠を越えて、今までとは違う動きを見せ始めています。
プルの世界は上から指示されるということは全くなくて自由なのですが、自身が主体的に動かない限りは何も始まらないし、セレンディピティに出会うこともないのです。しかし自分から努力していけばチャンスはあります。
一方、日本の技術者は、ほぼ企業に属しています。特にモノづくりの日本で、技術者は製造業系の企業に多く勤めているので、プッシュ型の大企業の先行きが今後厳しいという考え方は、技術者にとって大きな懸念材料となります。
しかし、トヨタなどの優秀な企業は従業員のパフォーマンスの向上を目指して意識改革を実行しているし、こと製造業に関しては全体最適化など企業の問題点の改善が進められています。
日本から、いや世界からプッシュ型企業の製造業がなくなることは当面考えられません。また日本のようなこれだけ高品質なものを作れる土壌は、偶然できたものではありません。そしてこれからも良いものを世界に届け続けると思います。良いものは基礎的な力がなければ作れません。
企業はその形を変えていくことになるかもしれませんが、技術は常にそこに存在しています。困難かもしれませんが、経営者は21世紀を意識した経営をする限り、プルの力もうまく取り入れることはできるのではないかと思われます。
日本の技術者は、モノづくりや技術に対する誠実さや勤勉さ、情熱がずぬけており、他者への信頼がうまく機能して、デジタルインフラを有効に活用できれば、企業の中でもプルの力を引き出すことも可能でしょう。