- machi-ka
信頼の獲得と囚人のジレンマ

経済学を全く触ってこなかった理科系の筆者が、自身の極小経営を通して今まで経験したトラブルや矛盾が、それは経済学的にはごく当たり前の出来事であると知ると、それまでの憤りは何だったんだと思う事が度々ありました。
大学の時に経済系の講義は取れず経済系の知識も皆無の状態の中、成り行き状態でガチ経営をすることとなりました。最初はバブル経済の余波があったおかげで、経営の知識がなくても何とかやっていけたのですが、ここ10年くらい経済の波が何度も押し寄せてきて、経営がやばくなることも経験することになりました。もう少し事前に経済の理屈を知っていたらどうだったとか、違う展開があったかもと思う事は何度もありました。
そこで自分の経営を照らし合わせてインパクトが強めだったワードを選び、コメントしています。その際、自分だけでコメントの内容を膨らませることは困難なため、秀逸なビジネス書を紹介する形をとっています。
今回は山岸俊男氏の「信頼の構造」です。山岸氏は、今までの日本社会は集団の凝集性を高め、外部に対して閉ざされた関係の内部で安心していられる相互協力態勢を確立することを通して、社会や経済の効率的な運営を達成してきた。しかし現在では、関係を外部に対して閉ざすことの効用よりも、外部に対して開くことの効用が大きくなりつつあると述べています。さらにこれまでの日本社会では、既得権を持った企業や団体と社会の様々な部分で閉ざされた関係を作ることで、関係内部で(既得権をもった人々の間で)協力態勢が確立していたとも述べています。また閉鎖的な集団主義社会から今のより開かれた社会のへの転換に際して、一般的信頼がきわめて重要な役割を果たすと考えられるとも述べています。
日本社会のような集団主義社会は低信頼社会になりやすく、他者一般に対する信頼は得られにくいが(人を見たら泥棒と思えという考え方)、急速なイノベーションやグローバル化に日本社会がさらされており、現在では社会に一般的信頼がないと経済の著しい停滞を招くリスクがあることになります。
日本は信頼の国だからこれだけの経済発展をしたと勘違いしがちですが、日本人は開かれた世界の他人を信頼していたというわけではなく、特定の相手との安定した取引関係により高い生産性を確保していたというのが現実であり、閉鎖された安定感のある関係が重視されてました。
そしていったん安定した関係が形成されれば、電話一本で話が通じるなどの、様々なフレキシビリティが可能となり、いわゆる終身雇用制も、雇用者と被雇用者との間にこのような関係が、安定して存在している状態と考えられることができました。
少し前までは、これらの日本社会の特徴がうまく機能して、日本は他国を圧倒する経済強国として君臨できましたが、破壊的イノベーションやグローバリゼーションに直面した現在ではその機能が逆に足かせになっている感があります。
そこでまず、日本の集団主義社会を支えた上記の長期的関係を作ったシステムの一つである囚人のジレンマについて述べてみたいと思います。
囚人のジレンマとは詳しくはウィキペディアを参照いただければいいかとは思いますが、池田信夫氏の著書の中に、山岸氏の実験についての記述があり、それは学生を3人1組にしてそれぞれに100円与え、それを他人にいくら寄付するかを決めさせるというゲームでした。
ゲームの内容は、自分が他人にx円寄付すると、それは2倍されてたの3人に与えられ、他の3人も同様とするというものであり、

・互いにx円を寄付したら2x円もらえる
・他の3人がx円寄付して、自分が寄付しないと3x円もらえる
・何もしないとx円もらえる
となります。この時の寄付するかしないかの意思決定は相手が寄付するかに影響されます。つまり相手が協調してくれれば2倍もらえて、自分が裏切れば3倍得をするというもので、これを繰り返します。被験者はアメリカと日本の学生でした。
この結果、個人主義的なアメリカ人のほうが日本人よりも寄付額が少ないと思われていたが、実際には日本人のほうが少ないという結果になりました。これに対しては条件を変えて実験してもほぼ一様に観察され、結果日本人はアメリカ人より他人を信用しないという結論に達しました。
これはアメリカがばらばらの個人の集まる社会なので未知の他人を基本的に信頼する「信頼社会」であるのに対して、日本は特定の集団の中でインサイダーだけを信頼する「安心社会」だというのが結論でした。
日本が安心社会であるのはそうなるよう、中の人たちが懸命に努力しているからであって、国内であってもすこしでも道を外れたらそこはたちまちリスクだらけの世界となります。だからこそ当事者たちは安心社会からはみださないようにすることが肝要であり、安心社会での評価を下げるような危険を犯してはならないという刷り込みが様々な形で行われていました。
池田氏によれば、リスクを恐れ、安定した関係を絶対的に信頼するが他人は信用しないという低信頼社会において、日本人は非公式な長期的関係に頼ると述べています。そしてそれを支えるのが評判メカニズムでした。
近世以降の日本では市場での取引と組織内の長期的関係が併存し、人事情報を共有する評判メカニズムが有効性を持ち続けました。その原因は組織構成員の同質性が高く、評判メカニズムは法的な紛争解決よりはるかにコストが低く、その強力なインパクトにより人々を支配することが容易だったからです。犯罪には時効がありますが評判は死んでも残るわけでこの恐怖が社会をコントロールしていました。
こういうモノの捉え方も今では村社会的な世界が瓦解し始め、若年層では効力を失いつつあるものの、依然長期的関係を維持する心理は文化的歴史的に由来するものと考えられ、日本の場合その有効性はまだまだ高いと思われます。
このようなクローズされた社会の長期的関係の合理性も囚人のジレンマで説明できます。
閉鎖社会では評価は重要で、取引でのミスは決定的烙印を押される可能性を持ち、AとBが長年の取引相手だとした場合、Aがもし金を返さないことがあると、Bは二度と金を貸さないばかりでなく、狭い世界にはたちまち評価が伝わることとなります。
借金を踏み倒すことによって100万円得することがあっても、そのあと借金ができなくなって100万円以上損すると予想される場合には、ちゃんと借金を返して取引を続けたほうがいいというのは当たり前に見えるます。つまり囚人のジレンマ状態の日本社会の経営者は、長期的関係があれば相手が協力する限り協力するが、裏切ると裏切りその時は相手が再び協力を持ちかけても二度と協力しないという戦略を双方がとることで、協力が維持されるとあります。
ところが外国の経営者の場合、どんなに長期的関係があっても商品の数をごまかしたり中古品を混ぜるケースがあるといいます。それがわかっていると商品を受け取るほうも商品の数をチェックしなければならないので一回ごとにチェックしなければならなくなります。これは1回きりの囚人のジレンマと同じになり効率が著しく低下することになります。
日本人はもともと相手を信頼し、協力することに強く不安を感じます。ですから長期的関係のリーダーたちは、長期関係に対しての非協力的な相手に口コミなどの評判メカニズムを作動させることにより長期的関係の治安を保とうとしました。評判という目に見えない法律によって処分することにより長期的関係の規律を保とうとしたわけです。
評判のメカニズムは強力なシステムで、いったん問題を起こしてしまうとその社会が継続される限りは烙印が押され二度と消えないとなります。そういう恐怖は統治する側には極めて有効で、このシステムを基に組織は安定体制を長い間維持することができたと考えられます。
日本の自動車産業は良好な長期的関係を背景に戦後の製造業に適していました。日本の製造業の大きな特徴は部品の内製化が低い代わりに、緊密に情報を共有する町工場と言われる下請け会社とのネットワークがあり、エンジンのような中枢的な部分まで下請けによって生産されていることでした。
1983年当時のGM は46万人の従業員で一種類のシャーシで約500万を作っていた同じ年、トヨタは6万人で340万台を生産し一台当たりの生産台数はGMの約5倍でした。日本では細かいニーズがあり、一見非効率に見えるものの、下請け会社との優良な長期的関係の元、GMが部品のほぼ半分を自社で生産しているのに対してトヨタの部品の4分の3が下請け企業で作られていたという特徴がありました。下請け企業にしっかりした技術と思想があり、何より良いものを作ろうという気持ちが技術者のプライドです。
高品質な製品を作るのにはこのシステムは適合していたのだと思われます。開発スピードも今までは日本人の勤勉さにより何とかなっていましたが、グローバリゼーションや破壊的イノベーションが身近になると、完璧を求める慎重さが競争力を弱めることとなりました。
グローバリゼーションという更なる発展世界と競争するにはスピードと効率化が命となります。開発のスタンスも、世界基準では、とりあえず完全ではないものであっても迅速に商品化し、直ちにアップデートするという手法を常用しています。
現場に権限を与えて個別のモノづくりの効率を高めた大手企業の分権的組織は一時は世界の企業の手本でしたが、それは部分最適と評価され、その結果効率化が進まずグローバル化から遅れ始めていると考えられています。
囚人のジレンマによる長期的関係をもとに安定的でほかの国にない結果を出し続けていた日本の集団主義社会システムも過渡期に差し掛かっているようです。
製造業だけではなく、一般社会もTPPやATFなどで一方的なグローバリゼーションを迫られている状況では、タコつぼから出される必要に迫られていることになります。
日本の村社会の中の長期的関係が世界基準では非効率であるという現実が突きつけられ、部分最適を得意としていた技術者に対して、これからのかつてない視野の変化という対応を迫られるということなのかもしれません。
そしてその時技術者として最重要なことは何かというと、日本人の苦手な一般的信頼をどう獲得していくかということだと思います。
それは山岸氏の著書の中で、高い一般的信頼の持ち主は特定の相手が信頼できるかどうかについての情報に敏感であるだけではなく、相手が実際に信頼に値する行動をとるかどうかをより正確に予測できることを示している。他者一般あるいは人間性一般を信頼するということは、ただやみくもに他人は信頼できる思い込むことではなく、他人が信頼できるかどうかを見分けるための感受性とスキルを身につけた上で、とりあえずは他人は信頼できるものと考えるゆとりを持つことが重要と述べています。
優秀な経営者は、共通する資質として、一見来る者は拒まず、皆フレンドリーにみえます。また情報に敏感だが、決して情報に振り回されてはいません。情報の取捨選択が絶妙であるように見えます。
これは優秀な経営者のもともと持つ独特の資質であり、自身はそうはなれないと思っていました。しかし一般的信頼を持つということが何を意味するのか少し理解できた今では、これはスキルアップにより得ることのできる特性でもあり、社会環境に流されず、一般的信頼を持てるよう努力してしていかなければと痛感しています。
技術者も今の場所から、もっと開かれた世界で活動する機会がおとずれるかもしれません。その時に一般的信頼を持つことは重要であり、それに備えてのスキルアップをしておくとが必要だと考えます。
今の時代は決して甘くなく、「人を見たら泥棒と思え」と言う教えにリアル感があります。だからこそ他人を見定めることができれば大きなアドバンテージになると思います。