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     技術的失業

 まずこの中で出て来る産業革命の定義はジェレミー・リフキンによるものです。なぜかというとそれが一番わかりやすかったからで、彼の定義によればまだ第4次産業革命は始まっていないということです。なぜかと言えば、第4次に存在するはずの5Gの先の通信インフラや、自動運転の先のモビリティはいまだ誰も目にしていないからです。

 さて技術的失業とは、技術の進歩により起こる雇用の喪失を表します。第1次産業革命の際には、失業した手織工が暴動を起こしました。これはラッダイト運動と呼ばれています。ラッダイト運動はイギリスで起こった産業革命により力織機が普及し、手織工の雇用が奪われた結果起こったことで、産業の変化により技術者が職を失うということはそれ以降もたびたび起こっています。

 ラッダイト運動は技術的失業を表す出来事としては、極めて象徴的な出来事で、現代でもネオラッダイトという、ハイテクによる雇用機会の喪失を懸念しそれらの開発を阻止して利用を控えようという考え方があります。そこからもラッダイト運動のインパクトの大きさがわかると思います。



 しかし歴史上の技術的失業は、産業の発展による経済成長によって何とか吸収されました。井上智洋氏によれば、新しい機械の導入によって生産が効率化し、労働が節約されるからと言って経済全体で長期的に失業率が上昇するというようなことは、歴史上起きたことがないと考えられてきたと述べています。しかし一方、AIによる失業は起こらないという主張が散見されるが、それはミスリーディングであろうとも述べています。第3次産業革命はこれまでの経済成長のパターンとは違うかもしれないという懸念はすでに述べていますが、限界費用がゼロに近い産業は、雇用創出に向かない産業と考えられており、今までのパターンがあてはまらないかもしれません。

 第3次産業革命のもう一つの柱であるMaaSと呼ばれる、モビリティ革命(今のマイカー以上のシームレスなモビリティサービスを提供し、持続可能な社会を構築していこうという概念)においては、車は所有から利用にシフトしていくとなることになると考えられます。つまりMaaSでは、稼働率の極端に低い自己所有の車から、稼働率を高めるためにカーシェアリングされる車や他の交通機関を、スマホなどのアプリによってシームレスに利用することなります。その上で省エネや効率化を一層進めることがMaaSの今後の命題となり、この場合効率や稼働率が重要であるので、自動車の生産台数は極端に言えば最小であることが望ましいこととなります。



 一方、5Gの場合もそうですが、今まだ存在しないMaaSのインフラを構築するためには10年単位の日数と莫大なコストがかかります。その時は間違いなく経済成長が起こります。しかしそれが今までのような産業の裾野の大きな広がりを期待できるものかどうか、未知数です。しかもその後は当然ながら省エネや省コストという今まで経験したことのない変化を求められます。

 省エネや省コストといえば、先日大手コンビニがウナギ弁当の予約販売だけにしたら食品残渣の処理費用が減って売り上げは落ちたものの、大幅に利益が増加したという記事がありました。ウナギはもともと絶滅危惧種ということですから、省コストだけでなく資源保護の観点からも、大変良い話となりました。しかしウナギ以外でもこの流れが認められると、生産サイドから見れば最適正量の出荷を求められることとなり、安易な増産はできなくなります。

 フードロスもマテリアルワールドの延長上にある問題でしょう。右肩上がりの時代では、既存のやり方に従い、飽和するよう過剰に生産するという流れがあり、前がかった姿勢をずっと貫き、そのスタンスを変えないことが定石だったといえます。しかしこのコンビニのように省エネや省コストに向かって自ら変化しなければならない時代がすでに始まっているようです。

 一方、技術者は実は省エネ、省コストに向き合うのはとても苦手だと思います。効率化や省エネの専門家は別として、ふつうは効率化されていないからこそ人の雇用が起こり、シームがあるほうが問題が生じて対策に人の手が必要となります。専門技術者の高度なスキルを必要とする局面が多くあるからこそ、技術者の存在価値が生まれる場合があります。産業革命の前でも、過剰生産を望まないという環境は技術者の今までの経験値を無効にするような時代となってきました。

 

 今が産業革命の始まりにあたるとすると、今後大分岐という経済成長に関する変化がみられることになります。第1次産業革命のとき、大分岐はイギリスで1760年頃から始まり、経済成長へのテイクオフを果たしました。大分岐とは、産業革命の起こった国とまだ始まっていない国の著しい経済成長の差が、枝分かれのように広がるさまを表現したものです。そして、第1次産業革命のイギリスではその後、技術的失業がおこりラッダイト運動は1800年代初頭始まりました。

 経済成長から言えば、現在進行し始めた第3次産業革命は日本でも早くテイクオフしてほしいのですが、産業革命が始まると当然ながら、技術的失業による雇用喪失もはじまることが考えられます。技術者から見れば、今の技術スキルを持ちながら、永続的に仕事を続けるのは不可能なことなのかもしれません。経済成長にはそういう側面があるということです。しかも第3次産業革命の技術は、限界費用を下げるものが多く大量の雇用喪失を産む可能性は高く、ただちにそれを補完できるような需要創造的な職業がその時存在するかどうかは疑問です。

 技術者としては経済成長は望むものの、技術的失業が起こることも困る訳ですが、景気停滞のまま、ジリ貧で職を失うのも本意ではないのです。どちらかしか選べないとすれば、発展する展開のほうが先はあるわけですし、そうなったら前を向くしかないと思います。

 日本はいち早く第3次産業革命の波に乗れれば大分岐という経済成長の上昇路線に乗れるかもしれませんが、乗り遅れると停滞路線に低迷し、経済成長は望めません。一方、隣国の中国では、いち早くテイクオフしようと最大の努力をしています。ひとりあたりGDPについて、圧倒的に下に見ていた中国に、経済成長の大分岐を経て、いつのまにか追い付かれる危機があると考えたほうが良いかもしれません。もっとも13億以上の国民を一定以上の生活水準で養う必要のある中国では、さらなる経済成長は必須で、第3次産業革命の経済成長に乗るしかない必死さが感じられます。技術的失業を懸念するどころではない状況かもしれません。

 日本は中国に対して、ITでは立ち遅れ、スタートダッシュは失敗したようですが、第1次産業革命の頃の大分岐に比べればタイムラグはわずかだし、AIがあるから挽回は可能でしょう。ITでは明らかに出遅れた日本ですが、得意のモビリティでは、何とか主導権を握ってほしいものです。車は電気自動車になっても、技術の裾野は広く、基礎工業力がものをいう部分が大きいと思われます。第1次オイルショック後のCVCCシビックでモビリティ革命を起こしたようにパッケージングの優れた日本ですから、主導権を握ってテイクオフを無事果たしてほしいです。

 経済成長の結果、技術的失業が一部で起こったとしても、それを理由に経済成長を止めるわけにはいきません。身近に技術的失業が起こってしまっても、その経験がプラスになるというとらえ方をするほうが良いと思います。作者も完全失業まではしていませんが、その危機感から違う世界の扉をたたくこととなり、その結果様々な経験をすることができました。今になるとそれは大きな財産です。

 

 経済成長を優先すれば、技術的失業による雇用喪失は避けがたいというのは、歴史上の事実であり、これからもそうなる可能性は高いでしょう。技術者の視点から見れば、自分の技術は技術的失業を避けられるものなのか、少し変化すれば良いのか、それとも転換が必要なのかは常に見定めなくてはいけないと思います。そしてどうしても技術的失業が避けられないものなら、創造的な職種への転換が求められます。多くの人の身近にその状況が起こる事は考えづらいですが、万が一そうなったときもその経験が役に立つかもしれません。違う世界を経験するチャンスともとれます。

 それではどういう職種が第3次産業革命に強く失業を招きづらいのか、需要創造的な職種はどういうものか、これらについてはいろいろな見解があります。次回はそのあたりに触れてみたいと思います。

 

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