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本質の追求に必要なハイコンセプトな感性とは



 前回、コンセプチュアルスキルという、本質を見極めるための方法を話題にしましたが、今回は本質とは何かというところから、これから必要とされるハイコンセプトという概念について述べてみたいと思います。


 まずそもそも本質とはどういうことかと言っても、本質というワードそのものがとても重いので、思考がフリーズしてしまいそうになります。

 そこで本質とは何かがわかりやすそうな例として、ミスターGT-Rとして有名な水野和敏氏のエピソードから引用することにします。彼がどう本質を掴んでいったかという経緯の中に、これから必要な感性がよく表現されていると思います。

 

 彼は、レースに勝つために、エンジン出力の向上と軽量化というそれまでの常識を本質とは据えませんでした。

 著書によれば、レースで勝つためには、最高馬力で走っていない長い区間で相手より速く走れる車をつくること。そこでタイムを稼ぐことができると、最高出力を競い合うストレートエンドで無理する必要がないのでクルマが壊れるということもない。(中略)

 また燃費もよくなり、ピットインのロスタイムが少なく、実質ラップタイムを短縮するのと同じ効果が出る。

 つまり、レースで勝てるクルマをつくる秘訣は、最高出力や軽量化による最高スピードの競争ではなく、アクセルを戻して半分しか踏まない状態でいかに速い車をつくるかなんです。

 これがレーシングカーに求められている勝つための本質だったのです。(中略)

 「こんなことを考える人がいない」ということは、多くの人が「思考の盲点」に陥っているということです。逆に言えば、そうした盲点にこそ、他人からすれば非常識だけど物事の本質が隠れているのです。と述べています。

 

 レースの世界も発展し続ける世界ですから、その時代ごとに、本質となる事象も変化することは予想されます。水野氏がかかわる以前のレースの世界において、それまでは最高出力や軽量化が本質だったのかもしれません。しかし、景気の影響や地球環境に対する考え方などは、その時々でかわるものですし、クロックスピードの速い現代では、レースカーに求められる本質も時間の経過とともに変化することは予想されます。そしてその時に必要な本質をつかむ資質が水野さんには確実にあったのだと思います。



 

 ピンク氏のハイ・コンセプトという著書の中では、最初に右脳の働きの重要性が述べられており、彼は以下のように述べています。右脳は、バラバラの要素を、そこから物事の全体像を認識する能力に特に優れている。

 これは本質をつかむのに重要な要素の一つと考えられ、水野氏に十分備わった資質だと想像されます。水野氏は著書の中で、僕は小学校時代、知識はまったく詰め込まず、感性ばかりを膨らませていました。と述べています。

 その彼が中学生の時に事故で頭を打ち、意識不明になり、当時は命にかかわる深刻な状況でした。そして目覚めたのち、彼は勉強にも目覚め、その後さまざまな経緯を経て、日産に入社し、ミスターGT-Rにまで上り詰めたわけです。

 水野氏の中学校時代の脳の損傷がどういうモノだったかは、うかがい知れないわけですが、典型的とも思える右脳優先の天衣無縫なキャラクターが、頭を打った後に両脳が覚醒したのかと思えるような、勉強もでき、感性も備えたキャラに変化します。ともかく脳の影響のすごさを感じざるを得ないエピソードです。

 

 さらに、ピンク氏によれば、新しい時代の求められるあたら強い全体思考を養うのに役立つために、デザイン、物語、調和、共感、遊び、生きがいという「六つの感性」が必要だと述べています。

 水野氏については、この中で特にコンセプトの時代に重要といわれる、デザイン、物語、調和、そして生きがいについて検討してみます。

 

 1)デザインについては、多分、彼の関わったGT-Rの直接的なデザインのことを言っているのではないと思います。

 ピンク氏は、デザインの実用性だけであれば、物のあふれる時代においては、言葉では表現しきれないアイデアや情感がユーザーに伝わらなければよいデザインとは言えないかもしれない。と述べています。

 彼の代表作であるGT-Rは、PM(プレミアム・ミッドシップ)パッケージというパワートレインと専用のエンジン、ミッションなどを新規に構成してデザインされた最高のスポーツカーであり、様々な調和とバランスの取れたデザイン構成の先見性は、強い情感を醸し出す優秀なデザインと考えられます。水野氏の情感や、アイデアは、日産のGT-Rという、もともと熱いストーリーを背負った車とリンクして、ユーザーに対して強く伝わる要素が満載だったと思います。

 

 2)物語については、もともと誰でも物語があるわけですが、それでもユーザーにより理解されるためには、あえて物語が必要だと言われています。

 現代では、事実というのが、誰にでも瞬時にアクセスできるようになりました。そうなると、一つ一つの事実の価値はどうしても低くなってしまいます。そこで、それらの事実を「文脈」に取り入れ、「感情的インパクト」を相手に伝える能力が、重要になってくるわけです。

 そしてこの「感情によって豊かになった文脈」こそ物語の本質なわけです。そしてこれが現代のハイセンスやハイタッチに必要な感性の、重要な部分を担うことになるわけです。

 そして水野氏の物語については、中学時代の事故の話をはじめ、申し分のない逸話であふれています。取り組んでから一年間で、レースで優勝したり、たまたまゴーン氏が来てくれたおかげで、無理と思われていた水野氏パッケージのGT-Rが世に出るようになったり、彼の物語のインパクトは十分購買者の感情に訴えていけるようなものであり、GT-Rの成功には大きな役割があったと推測されます。

 

 3)調和とは右脳に備わっている資質であり、バラバラの断片を繋ぎ合わせる能力と言われています。また全体像をつかむ力もその能力の一部であると考えられます。

 ピンク氏によれば、かつてナレッジ・ワーカー(知識労働者)が担当していた定型的な分析業務は、オートメーション化され、コンピュータが行うようになりました。また、このような仕事の多くがアジアに流出し、より少ない費用で先進国と変わらぬ品質で行われるようになっています。このため、知的職業につく人たちは、コンピュータや低賃金の外国人技術者にはできない、より難しい仕事を進んで(時にはやむを得ず)やるように追い込まれつつあります。と述べています。

 さらに彼は、調和とは具体的にどういうものかと言えば、たとえば、パターンを認識すること、境界を外して考え、隠された関連性を見つけ出すこと、イマジネーションを大胆に飛躍させることなどだ。さらに、情報、個人の選択肢、あるいは単なるモノがあふれている世界では、日々の生活における「調和力」の重要性が一層増してくる。

 現代の生活は、うんざりするほど選択肢や刺激があふれているので、物事の全体像をとらえる力、つまり、本当に重要なことを見極める力が、個人の幸福を追求するうえで決定的な強みを持つのである。と述べています。

 水野氏は今のGT-Rを開発する前に、旧型のGT-Rを持ち込み、ル・マン24時間耐久レースに挑戦しました。そこで彼は、どうすればGT-Rを欧州車より速く走れるようにできるのか?ということを考え続けていました。

 タイヤを効率的にグリップさせるには、二つの方法があります。

 一つ目は軽いフルカーボンボディに一般公道では使えない特殊なゴムでつくられたスポーツタイヤを履かせるというもの。

 これらはエンジンが車体の中心付近に配置されるミッドシップで、運転席の後ろにエンジンとミッションが配置されるなど純粋なレーシング仕様でした。フェラーリなどの車のレイアウトがそれで、これがそれまでのスポーツカーの本質です。

 そして、その時彼の探し出した「非常識の本質」はあえて荷重をかけてタイヤのグリップ力を増やすというものでした。

 水野氏は、今ある技術で荷重を良くするとなると、どうしてもエンジンを前方に配置するフロントシップに行きつくのです。いわゆる常識の向こう側を考え抜くことで、いろいろなものが見えて来るのです。と述べています。

 このル・マンでの思い付きの瞬間が、技術者としての水野氏の調和が、最高潮を迎えた時だと思います。 

 水野氏はさらに、こう述べています。その時、あるアイデアが、フーッと頭に浮かんできたのです。それは、FM(フロントミッドシップ)とPM(プレミアムミッドシップ)のパッケージ概念でした。

 これはのちのGT-Rにつながる重要な概念でした。

 右脳の能力が高いと推測される水野氏にとっては、今置かれている状況、自分の能力、ゴーン氏の出現など、様々な要素をできる限り効果的に配置しすることは得意分野だったのかもしれません。その能力を最大限発揮してGT-Rの開発に取り組みました。結果として、GT-Rは販売されるところまでたどり着いたのは周知のことですが、開発途中の数々の困難は、まさに物語のレベルの逸話であふれていて、伝説化するような逸話にあふれています。

 

4)生きがいを語るうえで、GT-Rチームの人選の話が大変興味深いと思われます。本人によれば、開発メンバーの8割は、経営不振で他社を早期退職した、乗用車を開発するのは初めてのメンバーと残りはもともと日産にいたアウトロー社員。日産の精鋭なんて一人もいないという状況でした。

 水野氏は、新しいモノをつくろうとするときに、本当に求められているのは目的志向のある人材です。他者をリストラされた人は、失うものなんかない。だから自分を捨てて新しいチャレンジができるのです。捨て去るものがない人材に目的志向を与えて束ねる。

 これが人材活用の「非常識な本質」で、チーム作りや新人の採用においてとても重要なファクターとなるのです。と述べています。

 さらに、彼はこうも述べています。人選においてもう一つ大切なことがあります。ほとんどの人は、好きな会社に入って、好きな仕事をすることが夢の実現にっ近づくと思っています。しかしそれで成功した試しなんてありません。なぜか?簡単なんです。

 仕事や商品というのは、本来なら人の幸せのためにあるものなのに、自分の喜びのために自分の好きなことを他人に押し付けて成功した試しがあるわけがない。

 自分の好きなことをやって、自分の夢が実現出来たら、それは仕事ではなくて趣味です。だから逆に、お金を会社に払わなければいけない。ではなぜ給料がもらえるかというと、お客様のために自分が苦しむからです。こんな当たり前のことが、みんな方程式としてわかっていない。だから

「僕はレースの世界で生きたい。優秀なメカニックですから、水野さんのチームで雇ってください」

「レースが僕の生きがいです。僕にレースのことは何でも聞いてください」

という人は絶対に雇いませんでした。

 自分の希望を押し付ける”ストーカー”エンジニアはいらないです。

 

 水野氏のこのコメントを知らなければ、私も生きがいの本質を見誤っていたということになります。自分の生きがいを押し付けるようだと、それは迷惑になることすらあるということを知りました。

 科学者であれ、サービス業であれ、迷ったら、世のため、人のためになることをするのが幸福の大きな要因の一つだと言われています。しかし私がそうですが、物質的利益以外の働く理由をなかなか見いだせないでいるところが、まだこれからなのだと思います。

 ピンク氏の著書の中で、セリグマン博士の言葉として、

 「人が追求せずにはいられない、第3の幸福の形がある。それは意義の追求だ。自分の最も得意とすることを知り、それを自分よりも大きな何かのために生かすことだ」と述べています。さらにセリグマン博士は、

 「働く理由の第一は物質的利益にあったが、それも近いうちの、仕事の結果を楽しむことに取って代わられるだろうと、私は予測している。」と述べています。

 日本人は現状、食うに困るような状態からはほぼ解放されているはずですが、物質的利益以外の働く理由をなかなか見いだせないところが、問題なのかもしれません。

 それと日本語の生きがいという言葉自体も、ワードとしては冒頭の ”本質” と同じくらい重いものであり、ネットなどで調べると生きがいとは日本独特の概念という書き込みもあります。

 生きがいに関して言えば、まず思い出すのは、高齢者が家庭菜園をなどに見出す楽しみみたいなイメージです。個人的には自分自身のための言葉という印象が強いものです。

 私は、自慢話がとても苦手で、たとえ尊敬できる先輩であれ、それが始まるとげんなりしてしまいます。先輩方の話は人生そのものであり、その中に光るものも多いのですが、自慢話となると、どうしても自己愛の投影としか思えなくてつらくなります。

 そして私に関してのことですが、生きがい≒自己愛と考えると、どうしてもモチベーションが下がります。しかし、もし生きがいをセリグマン氏のいう自分よりも大きな何かのために生かせれば、それは幸福の極みだと思います。

 私にとっては、生きがいの本質を、これからは自分よりも大きな何かのために生かすことであると考えたいと思います。そして、そう思えばこれからも新しいことにチャレンジするモチベーションをキープできそうです。

 

 






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